まめ・ストリート・ジャーナル。

書評や映画評を中心に思った事を書いてます。(ローソンのからあげクンよりも愛されたい)

コロナ危機で変わる「金持ち父さん貧乏父さん」の関係性。

コロナ危機によって社会の色々な事が変化しています。

テレワークの普及によって、朝7時に家を出て夜8時に帰宅するという、ごく当たり前だった生活。そして、緊急事態宣言の発表によって実店舗ではなくネット通販が普及して、映画もTSUTAYAではなくNetflixで見る事が普通になっています。アナログからデジタルへ。

 

最近のニュースを見ると、コロナ危機後、よくアフターコロナと言われる世界では在宅ワークが定着し働き方や生活そのものが変わると言われています。それによって、不動産市場も変化し、駅から徒歩何分のタワーマンションではなく、海が見える空気が綺麗といった新しい価値感が物件選びの基準になるそうです。

 

で、今回のコロナ危機を見ていて、ふと思った事が名著「金持ち父さん貧乏父さん」の価値観も大きく変わるのではないか?という事です。読んだ方は勿論の事、読んでない方のために説明すると、実の父親「貧乏父さん」に対して、友達の父親「金持ち父さん」からお金儲けのイロハを学んで行くというお金の本ですね。

 

有名なフレーズとして、

 

「家は資産ではなく負債だ」

「金持ちは使ってから税金を払う、貧乏人は税金を払ってから残った分を使う」

 

というものがありますが、僕がコロナ危機で思った事は、金持ち父さんと貧乏父さんの関係性です。コロナ危機までは、この本を読むと「ああ〜貧乏父さんの人生って嫌だな、金持ち父さんみたいになりたい」という感想を持っていました。たぶん、多くの読者方もそうでしょう。けれど、よく考えると貧乏父さんの人生も悪くは無いのです。

 

貧乏父さんは高学歴で、お金は無いけれど教師というという職に付いていました。けれど、ある時、行政の不正行為に嫌気がさして、自ら選挙に立候補するわけです。結果的に落選し恨みをかって教師という職も失いました。職を転々としながら、最後まで貧乏だった。これに対して金持ち父さんは無学歴だったけれど、、、というのが本書のあらすじなんです。

 

銀行からお金を借りて資産を買え、労働者は時間で働いている限り一生貧乏だ!

 

コロナ危機を見て、家族や友達が突然、コロナで亡くなったり景気悪化で職を失う。勿論、お金はあるに越した事は無いけれど、貧乏父さんは自分の将来を犠牲にして、社会のために選挙に立候補して落選した。結果的に裕福な生活は送れなかったけれど、貧乏父さんの心の中は確実に金持ちだったと思います。名著「7つの習慣」の第2の習慣に「終わりを考える」という習慣があるのですが、つまり自分の葬式を想像して弔辞に何を言われたいか?それが、あなたの人生目標でありゴールです。「あなたは、1億円の資産を持つお金持ちでしたね」ではなく「あなたは人に優しく笑顔を与えてくれる人でした」これこそ目標であると。

 

まぁ勿論、金持ち父さんの理論も正しいです。

お金が無ければ、そもそも生きて行けません。

 

でも、本書を読んで貧乏父さんに事を敗者として片付ける。負け組として扱う事はコロナ危機を見て違うのでは無いか?という思いです。

 

金融リテラシーとしての参考文献としては間違いなく名著です。

お金って何なの?という意味で読み返しても面白いと思います。